2010/02/15

2010.02.11 建築系フォーラムレビュー 前編

先週の祝日に広島国際大学にて、建築系学生企画団体「scale」主催で行われた「建築系フォーラム2010」に参加してきました。
「地方建築家のロールモデルを考える」という今まさにな内容で、福岡から飛んでいったわけです。パネラーは、
土井一秀さん×松岡聡さん×北川啓介さん×松田達さん
という豪華ラインナップ。
それぞれ地方建築家のロールモデルが割り当てられており、
土井さん:アトリエ
松岡さん:往復
北川さん:プロフェッサー
松田さん:メディア
拠点や建築家としてのスタンス、活動領域の異なる4人の討議から地方都市で活躍する建築家の役割・可能性をあぶりだそうという企画でした。

プログラムは
プレゼンテーション×4

トークセッション
セッションA「地方建築家のロールモデルを考える」
セッションB「海外経験は、地方都市での活動とどんな経験を持っているのか」
という流れ。
4者それぞれのプレゼンテーションを柱にして、問題点と気になったポイントをざざっとレビューしたいと思います。

土井一秀さん
広島を拠点に活動されている建築家で、STONE TERRACE等美しい建築を手がけられています。
風景の発掘というタイトルで、韓国の博物館コンペやAUBERGE H(SDreview2008掲載)を題材にしながら、「風景(敷地)に内在している美しさや構造を取り出し、建築という熟慮の一手を加えることにより敷地の意味を再発見、発掘している」というお話。そこでやはり浮かび上がってくるのは、「森のようではない雑然とした地方都市の風景の中に建築をつくるとしたら何に因って建築を構想していくか」、その問いへの暫定的な回答としてGOD BURGER HOUSE。通りへの引き込みや角地としての敷地特性を読み込んだ上で建築という壊れない塊を置く。風景の中にそっと建築を置いている状況とは異なり、美しくない風景に対して対峙する。そんな印象を抱きました。
「地方にずっと寄り添っていく責任をもった建築家の役割とは、地方のコンテクストを丹念に読み解き、対話によって建築をつくっていくことではないか。」
*
松岡聡さん
UNstudio,MVRDV,SANNAを渡り歩いた猛者で、モクバンのplytowerで衝撃を受けたのを覚えています。現在、松岡聡田村裕希という事務所を主宰されており、事務所設立5年で150ものコンペに出されたという超人です。
「建築のかたちをパッケージとして考えている」という言葉ではじまったプレゼンはこれまでのかたちに対する認識を新たにするものでした。
「かたちのもつポテンシャルをプロジェクトの境界を越えて追求していく。」形態はプロジェクトごとにリセットしてしまいがちで、どこか形は最後に啓示を受けるのだという教育を受けてきたぼくにとっては、目からうろこでした。そこには、何でも入るようなルールをつくってドライブさせる建築論とはまた別の、かたちを大事にする考え方であり、脈々と受け継がれてきた建築の伝統すら感じるのです。「形態のもつ豊な属性をできるだけひきずったまま最終形までもっていく。」形態のもつポテンシャルを最大限発揮させることによって、かたちが必然性を帯びてくる。スライドに流されるアウトプットは非常に論理的に構成されており、無駄がなく、透明度が高い。
かたちのポテンシャルを追求する姿勢はコンペにひたすら出すスタンスに接続されていて、「特定の主体の判断に左右されないコンペに出すことによって建築を突き詰めていくことができる。」。切断されないんですね。プロジェクトは繋がっており、切断面がアウトプットになるイメージでしょうか。
透明な深い湖のようなプレゼンテーションでした。
*
北川啓介さん
27もの職業を掛け持ちしているという名工大プロフェッサー。行動力が面白いことを竜巻のように集める方です。
研究室やこれまでの自身の活動をプレゼンテーションしてくださいました。
名古屋の文物多様性。江戸前の高級な文化に対するB級グルメ的な価値観。大文字のコンテクストに対する小文字のコンテクストといった感じでしょうか。そんな特徴の潜んだ日常の風景にちょこっとアクセントを加えることで、楽しくて新しい価値観をつくりだす。
site+parasite→∞
方程式ではなく化学式のような反応。
構想ではなく実際にゲリラで行われていたという活動には、楽しみながらこのまちをもっと面白くしたいという情熱がスライドから飛び散ってくるような迫力がありました。
まちには何もないわけではなく、発見して、行動して、塗り替えていく。そういった軌跡で難しく考えなくても良くなっていくのでは!そんなことを考えました。
設計のプロジェクトも同じ心意気のもとにつくられていて、非常に興味深いものばかりでした。
*
松田達さん
建築家、都市計画家、批評家、、、様々な顔を持つ方で、建築系ラジオなどメディア活動もたくさんやられています。
他者に伝えるための都市・メディアという存在、可能性。メディアの影響力・権力化。
伝えるということと、伝わることの乖離。建築という経験は、メディアによって全て表現されることはない。こぼれおちた部分の可能性を建築は追求すべきではないか。
翻って、建築家が都市やメディアと関わることは、建築との距離のとり方を確認することになるかもしれない。建築というひとつのメディア特性に関するお話だったように思います。

レビューしていてもあぁ~特濃ですね。
後編では論点をクリアにできればずばっとまとめたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿