2010/02/08

2010.02.08 予感のようなもの

時間の進み方が、だんだんだんだんゆっくりになってきて、ジェット機のように進んでいた時間も大げさに言えば歩くくらいになってきてる。残念ながらジェット機のような進み方は体感したことないし、幸か不幸か新幹線も自動車も知らない。せいぜい自転車くらい。だから人生のレールと呼ばれるものをあまりまともに考えたことがない。燃えるくらい楽しいことしながら生きていきたい。平たく言えばそんなことしか考えられなかった。将来のことなんてどんだけ考えても浮かび上がってこない。
それは、時代がリニアに進む前提で将来のことを考えてたからだって、最近のもろもろのインプット(LARJ、twitter,BRUTUS等)で知りました。時間はさらさら流れていません。スライムのような今がずぅ〜っとのびていく。原因が結果にはダイレクトに反映されない、積み重ねが今をつくるような。そんな時間です。粘着性って言葉を聞いて、とってもいい言葉だなと感じています。ぼくらは時間も友達も感じていることもず〜っとひきずったまま生きていける。
世の回りは徐々にゆるやかになり、そのうち一定のスピードに落ち着く。働くということの概念も変わる。ぼくらはどうあるべきなのか。考えざる得ないような状況ができる。(今もそうだけど)ぼくらはそういう感覚を身につけた最初の人類となる。いらないものを壊しながら徐々に未来をつくっていく。
建築は社会に存在し、社会は人によって営まれています。そして、人間はあたらしいねばりっけの一部になろうとしています。建築のこと考えながらいつも人間のことにたどり着く。思考に何が欠けてもだめですね。予想もしない未来は現実のものに、膨大な積み重ねによって。

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